自慢話

今、ドン底に落ち込んでいるので、ちょっと自信を取り戻す為に、自慢話を書いてみよ。人の自慢話ほど、つまんないものはないから、ここから先は読まなくて良し!(笑)

私はこれまで、数えきれないほどの転職をして来た(^_^;)。
でも自分で言うのもなんだけど、そこそこの成果を上げて来た(と思っている)

最初に就職した会社は営業課。
お店の新規開拓と、商品の売上と大きな柱が2つ。
女性社員も販売店へのフォローと営業事務の柱が2つ。

私は販売店へ出向かなければならない業務が大の苦手で、研修中からずっと営業事務を希望していて、このまま外勤が続けば辞めようと本気で思っていた。
普通は外勤を最低でも1年は経験してからでないと内勤にはならないのだけれど、わずか2か月で内勤へ変更して貰えた。

内勤にもいろいろ担当があって、一番長く勤めている人がやるべき業務を3年ほどで任せてもらえた。(普通は5年ぐらい)
一人先輩を飛び越して・・・

今思い出すと、苦労してはじきだしてた「寄与率」
パーソナルコンピュータなんてなくて、ビジネスコンピュータを専門の部屋で会社全体の情報処理を行っていた時代。
私は膨大な数字をコンペット(業務用電卓)を使い、最初からブラインドタッチで入力していたので、作成するスピードも速かった。(電卓をブラインドタッチしている人は先輩ひとりと私だけ)
これもひとえに高校時代に培った英文タイプ部で鍛えていたおかげ。

その後も、英文タイプをやっていた事でワープロ検定にも一発合格。市が行っていたワープロ講習会の中でも3級に一発合格したのはわずか二人。
不合格の原因は入力スピードが規定に達していないから。

その後の検定はすべて独学で合格。
とにもかくにもブラインドタッチが出来るという事が、こんなに大きな影響があるとは、英文タイプ部に入部したわずか15歳の春(笑)には思いもしない事だった。

それから子育ての時期には、短期の派遣をしていたけれど、どこへ行っても再指名を貰って、出産で休業するときには在宅でもいいからと仕事を依頼された。

その後、インストラクターになっても、私を指名してくださる生徒さんも沢山増え、私が教室を辞める時には私でなければ習う意味がないと一緒に辞めた生徒さんも数名いた。

そしてまた派遣でインストラクターへ出た時。
あるスクールでは終了時に、一斉に並んでお礼を言われた事があった。何事かと思いきや。
とにかくこれまで来た派遣の質がとても悪く、私が来た事によって想像以上の働きをしてもらって非常に救われたという事だった。感謝してもしきれないと。

だから転職しても転職しても採用されないという事はなかった。

しかし、どうしても私がクリアできない仕事。

「ネットショップ」

ネットショップへ出店すればとりあえず、○○円は売れると言われている目安があるのだが、恥ずかしい事に私はそれすら達成できていない。普通の会社であればとっくにクビになっていてもおかしくないレベル。

もう残り少ない人生。
なんとか及第点をクリアしたい。

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