「やればできる子」を卒業しよう

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なんだか頭をガツーンと殴られた気分。
自分に自信を持つという事を勘違いしてました。
そう、私は「やればできる子」だと思っていたのです。
しかし、下記のブログを読んで私は「底辺」にいたのだという事を思い知らされました。

世の中結局一番下へ下へ追いやられるのは「やれば出来る子」

「やればできる子」=「基本やらない子」

だった・・・

「夢をかなえるぞう」でガネーシャも言ってました。
「これが終わったらやろう」「明日からやろう」はダメ。

「今 やれ」


松下幸之助さんのある講演会で質問がありました。

「私はいまの仕事を成功させるためにあらゆる手を尽くした」と。「あらゆる手を尽くしたんだけれども、どうしても上手くいきません。松下さん、私はどうすればいいのでしょうか?」

それに対し、

松下幸之助さんは、一言。

「努力が足りんのじゃ」

と言われたそうです。
結果が出ないのはやっぱり、自分以外の人から見れば「やってない」のと同じこと。

なんだかんだやらない言い訳をして、やってない事が沢山あるのです。

私も出来ない言い訳いっぱいしますし、
「やれば出来る子」だとうぬぼれてます。

中学に入った時、試験勉強全くせずに割といい点を取ってました。
妹は最初は私より成績が悪かったのに、「中学時代」とか「中学コース」みたいな雑誌でレクチャーされてるような勉強法を地道にやってました。2週間も前から計画たてて・・・
結果、逆転されるのは時間の問題だと、誰の目にも明らか・・・

妹は、「できないけどやる子」だったんです。
私は、「やればできる子」だと思い込んでて、受験の時に大好きな祖父が太宰府天満宮で貰って来たおみくじは、

「受験危うし!全力を尽くせ!」 

でした(笑)
菅原の道真公もとっくにお見通しだったのです。

それぐらい、とうとう最後まで「やらない子」でした。
母も学歴はないけど、7人兄弟の一番上だから親に言われて中学の頃からリヤカーに野菜乗せて行商にいってました。それからずっと休むことなく働き続けた人生。
78歳になっても私より収入あります!(爆)

余談ですが。
私をすごくかわいがってくれる国税局に勤めていた叔父。
小学校入学の時、本革のめちゃ高いランドセルを買ってくれました。
(私はクラリーノの赤が好きだったのに)
でもそれは私が可愛かったからではなく(笑)、母が行商で稼いだお金で叔父に中学校のカバンを買ってくれたから、私にもランドセルをプレゼントしたのだという話をしてくれた事がありました。


スマホ使えない、メール使えない母ですが、ガラケーに毎日市場から売り上げのメールが来ます。だからメールを読むことだけはできると言ってます。
私にもふとんの売り上げのメールが来るはずなんですが、、、

母には毎日。
私には一向に来ません。忘れた頃にポツリと来ることがあります。

これが「やれば出来る子」と「できないけどやる子」の違い。
母と妹は、「やる子」だったんです。

あぁ、今頃気づくなんて。
ほんとのおバカは私だったんだなぁ・・・
まずは、謙虚に私も「できないけどやる子」になろう。
継続は力なり。

このブログ。半年間、毎日続けました。

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